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気になるあの人の本棚

がんと向き合った人たちから、心に残る本をご紹介いただきます

清水健さん(フリーアナウンサー)

『はなちゃんのみそ汁』安武信吾・千恵・はな著

『はなちゃんのみそ汁』

 

病と向き合う本人の家族への思い、
そして自分たち家族の「弱さ」を知ることで
無理して乗り越えなくていい、と思えた

ひとりの当事者から知る
諦めないという気持ち。頑張った軌跡。

妻が僕たち家族の前からいなくなってしまってからは、しばらく本を読むことすら忘れていたような、そんな時間が続きました。

妻である奈緒は、乳がんに罹患し、息子が生後3ヶ月のときに、旅立ちました。『はなちゃんのみそ汁』の著者である安武信吾さん(以下安武さん)も、奥様(千恵さん)を乳がんで亡くされています。千恵さんが闘病中に書かれていた「入院日記」とブログ「早寝早起き玄米生活」の文章を辿り、家族の暮らしを綴った本が『はなちゃんのみそ汁』。タイトル名にもなっている、はなちゃんは、安武さんご夫妻の娘さんで、千恵さんが亡くなったときは5歳でした。著書の存在はもちろん、知っていましたが、なかなか読む勇気がなかったのが正直なところです。

今では、ご縁があり、安武さんとは連絡を取り合う仲。家族として、「安武さんは、どうだったんだろう」「千恵さんはどのように感じていたんだろう」と思うようになり、この本を手に取りました。安武さんの著書に綴られていた言葉は、想像通りというか、やはり、自分の経験と重なることも多く、辛くもあり、でも多くを気づかせてもらえました。

「これから数ヶ月かけて、いや、数年かかるかもしれないが、私はがんを治す。」1

「どんなにキツい薬も、どんなに苦しい状況になっても、ここまでやって来られたのは、『ムスメのために、何が何でも生きんといかん』という気持ちが働いたからだ。」2

「人生は、思う通りにはなりませんが、それでもしぶとく私は生きるのです。」3

絶対に諦めない千恵さんの思いを感じる言葉が随所に出てきます。千恵さんの生きたいという思い、そして、それは当たり前なことに安武さん家族の思いでもある。僕たち家族も全く同じ思いでした。

安武さんは「ほんと、すごいよね!」って、千恵さんのこと、そして、僕の妻のことをそう言います。頑張っている姿を一番近くで見ていた家族だからこそ、お互いに今、妻のことを、自信をもってその言葉で表現できるんだと思います。千恵さん、奈緒は、家族のために、僕たちのために必死に病と向き合い、不安とも向き合い、頑張ってくれた。だから、やっぱり、生きていてほしかった。今でも、お互いにそう思っています。
僕たちがそれぞれに著書で書かせていただいたことは正解でもなんでもありません。
安武さんはご自身の、ひとつの家族の生き方をこの本で伝えたかったのではないかと思います。今、がんと、病と向き合われているご本人やご家族に対して、そして、娘のはなちゃんにも。
 

1.『はなちゃんのみそ汁』(安武信吾・千恵・はな著 文藝春秋)P84
2.『はなちゃんのみそ汁』(安武信吾・千恵・はな著 文藝春秋)P121
3.『はなちゃんのみそ汁』(安武信吾・千恵・はな著 文藝春秋)P143

安武信吾さん(写真右)とのオンライン講演会にて。

安武信吾さん(写真右)とのオンライン講演会にて。

家族も辛いし、後悔もする。
それを誰かに伝えることで安心し、
前へ進んでいける。

「千恵が一体、何をしたっていうんだ。どうして、どうして。どうして、死ななきゃならないんだ。嫌だ。死ぬと決まったわけじゃない。絶対に助けてみせる。」4

悔しい思いとともに、自分の感情がうまくコントロールできない、そんな安武さんの弱さを見せる部分もたくさん書かれています。ここにも、自分と共通する部分がたくさんありました。

一番辛いのは、間違いなく本人です。不安で怖くて、辛い思いをしている。でも、家族も辛い。自分の大切な人が、どんどん体調が悪くなっていくその姿を一番近くで見ているのです。怖くて、不安で、助けたくて、必死にもがき、本人と一緒に病と向き合っている。
でも「辛い」って、家族はなかなか言えないんです。だって、本人が一番、辛いから。そして、僕たちは夫であり、父親だったから。でも、今だから安武さんも僕も言えることがある。それは、もしも僕たちが無理をして体や心を壊してしまったら、一番悲しむのは病と向き合っている妻たちだったろうなって。その姿を一番、見たくなかったはずです。だからこそ、千恵さんはいつも笑っていた。僕の妻も、笑顔を絶やすことはありませんでした。

「そして、日々祈るのです。
(中略)
がん友や、大切な人々が、毎日元気でいることを。
それぞれの家族が、できるかぎり長く、幸せであることを。」5 

安武さんは、余命を宣告されて「心の中で、弱気と強気が行ったり来たり」したとき、はなちゃんが通っていた保育園の園長先生に会いに行き、一緒に泣き続けたそうです。

僕は、妻のがんの転移がわかったとき、深夜にもかかわらず、その結果をクリニックで待ってくれていた産婦人科の先生が、一緒に泣いてくれました。辛いということを言葉に出さなくてもわかってくれる人がいることに、泣ける場所があることに、どれだけ心が救われたか……。

「ぼくは、千恵の苦しみに正面から向き合っていたのだろうか。」6

安武さんがこのように振り返るシーンがあります。僕も全く同じです。「後悔」の連続です。まだできたことがあったのではないか、本当に妻の気持ちに寄り添えていたのだろうか。
当時は、必死です。生きていてほしいから。いろんな病院を回りました。いろいろな治療法を探したりもしました。でも、そのたびに、体がしんどい妻を連れていかなくてはいけない。それがよかったのかどうか、それさえ、もう妻に聞くことはできません。
今でも正解を探してしまう、自分を責める思いに駆られてしまうときがあります。でも、どれだけ下を向いても次の日はやってくるんです。そして、息子がそばにいるんです。僕たちは生きていかなくてはいけない。

「そして、この世に命を得た私たちは、その火を、自ら断つことなく、精一杯生きなければいけない。産まれてくることができない人たちの分まで。」7

4.『はなちゃんのみそ汁』(安武信吾・千恵・はな著 文藝春秋)P148
5.『はなちゃんのみそ汁』(安武信吾・千恵・はな著 文藝春秋)P126
6.『はなちゃんのみそ汁』(安武信吾・千恵・はな著 文藝春秋)P57
7.『はなちゃんのみそ汁』(安武信吾・千恵・はな著 文藝春秋)P122

簡単に乗り越えることはできない。
でも、きっと悲しみはカタチを変え、
「素晴らしい悲しみ」となるはず。
だから希望をもって生きていく

2022年4月、『はなちゃんのみそ汁』の続編が出版されました。『はなちゃんのみそ汁 青春編 父と娘の「いのちのうた」』。千恵さんから引き継いだブログの文章とともに、はなちゃんとの「その後」の13年間の日々が書かれています。安武さんから受け取ったその著書に、僕は、救われました。安武さんは今でもいっぱい泣いているんです。

「あれから13年。ようやく、僕は千恵の遺品を直視し、手で触れることができるようになった。57歳にもなる大人が、18歳の娘の前で号泣しながらも、亡き妻の服を処分することができた。」8

僕は、妻の服をまだ置いています。「いつまで引きずっているのか」、もしかしたらそう思われるかもしれません。でも、そんなものなんです。この安武さんの言葉を見たときに、ホッとしました。自分だけじゃない。悲しみは無理に乗り越えなくてもいいのではないか。だって、それでも、毎日はやってくるから。

久しぶりに安武さんとお会いできたとき、当然のように、お互いに笑顔で挨拶。その後、すぐに安武さんが、「清水くん、僕たちがこうやって笑っていると、悲しみを乗り越えましたねって、みんな言うんだよね。どう思う?」。二人で大笑いしました。なぜかって、二人とも、今でも思いっきり引きずっているから。その安武さんの言葉に心がすごく軽くなりました。
まだ下を向くこともある。ずっと上を向いていられるわけじゃないけれど、毎日の生活の中で、みんなの前では笑っていようと思う。それが、妻たちが望んでいることのひとつだと思うから。

「絶望に打ちのめされていた僕を最初に救ってくれたのは、まだ幼かったはなだ。」9

「友人、全国の仲間(中略)彼ら彼女らからは、苦しく、つらいだけだった悲しみから得られるものがあることに気づかせてくれた。」10

「やがて、悲しみのただ中で希望を見いだせるようになった。
その悲しみが『すばらしい悲しみ』だと感じられるようになった。
すべて千恵が遺してくれたものだった。」11

今でもたまらなく妻に会いたいときがあります。泣きたいとき、立ち止まってしまうときもあります。でも、その悲しみは、妻が隣からいなくなってしまったときとは、少しカタチが違う気もします。安武さんは「すばらしい悲しみに感じられるようになってきた」と表現されています。僕は正直、まだそこまでにはなれていないかもしれません。でも、確かに、悲しみのカタチは変わってきている。それは、悲しみが薄れてきれている、そんなことではない。安武さんにははなちゃんが、僕には息子がいる。守らなくてはいけない家族との毎日は、深い悲しみを感じながらも、当たり前のようにやってくる。

「5歳だった私は、まだ、「死」の意味をよく分かっていませんでした。ママは『天国』という遠い場所に出かけており、いつか家に帰ってくる。そう思い込んでいました。」12

はなちゃんは著書の中でこのように記しています。
子どもたちにどう伝えていくのか、それは僕たちが、夫として、父親として、妻から与えられた一番の宿題。簡単なことではありません。でも、妻のことを子どもたちと話すその時間は、妻も含め、三人だけの大切な時間で、悲しみの中の希望の時間なのかもしれません。

妻の七回忌のとき、初めて息子が「ママに会いたい」って僕に話しました。悲しい顔ではなく、笑って「パパは?」とも。今まで僕はあえて「ママはね」と妻のことを息子に話すことはしていません。でも、きっと、もっともっと「ママのこと教えて」って言われる時がくると思います。その時は、家にある笑顔の妻の写真の前で、ありのままを息子に話そうと思います。ふたりして、泣くのかな、笑うのかな、「ママと会いたいよな!」と言いながら、息子と笑いあいながら話をする、そんな親子でありたい。
多くの方に支えられているからこそ、そんな未来を今、描くことができています。

8.11.『はなちゃんのみそ汁 青春編 父と娘の「いのちのうた」』(安武信吾・千恵・はな著 文藝春秋)P11
9.10.『はなちゃんのみそ汁 青春編 父と娘の「いのちのうた」』(安武信吾・千恵・はな著 文藝春秋)P10
12.『はなちゃんのみそ汁 青春編 父と娘の「いのちのうた」』(安武信吾・千恵・はな著 文藝春秋)P28

清水健さん、清水奈緒さん、息子さん。
清水健さん、清水奈緒さん、息子さん。
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清水健さんの本棚から2冊をピックアップ!

『はなちゃんのみそ汁』

『はなちゃんのみそ汁』
安武信吾・千恵・はな著 文藝春秋
小学3年生のはなちゃんは毎朝みそ汁をつくる。5歳の誕生日からの日課だ。「食べることは生きること。1人でも生きられる力を身につけて」と、33歳で亡くなった母・千恵さんと約束したから――。20代で乳がん、結婚・出産をへて肺がんに転移という過酷な運命のなか、千恵さんがあかるい博多弁で綴った人気ブログ「早寝早起き玄米生活」。さらに、夫の信吾さんが、余命を覚悟した千恵さんが娘に遺した食と躾、はなちゃんと2人家族になるまでを描きます。

『はなちゃんのみそ汁 青春編 父と娘の「いのちのうた」』

『はなちゃんのみそ汁 青春編 父と娘の「いのちのうた」』
安武信吾・千恵・はな著 文藝春秋
がんで逝った33歳の母。僕たち親子が悲しみのなかから見いだした希望とは――。累計30万部を突破した感動作『はなちゃんのみそ汁』から10年。大切な人を亡くした後、残された家族はどう生きるか。大学生になった娘・はなと僕の〈心の往復書簡〉。

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清水健 しみずけん

フリーアナウンサー。1976年生まれ 大阪府堺市出身。中央大学文学部社会学科卒業後、讀賣テレビ放送株式会社入社。『どっちの料理ショー』『あさパラ!』などの人気番組を担当。2011年〜2017年、在阪民放局の報道番組『かんさい情報ネットten.』メインキャスター。2013年、スタイリストだった奈緒さんと結婚。2014年、長男が誕生。2015年、妻、奈緒さん、乳がんのため逝去(享年29)。2017年讀賣テレビ放送株式会社退社。現在は、フリーアナウンサーとして、司会、出演、執筆活動などとともに、自身の経験をもとに、日本全国を講演会でまわる。
清水健オフィシャルサイト https://shimizuken.co.jp

清水健さん
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「がん&」編集部から清水健さんの著作本をご紹介

『112日間のママ』

『112日間のママ』
清水健著 小学館
乳がんで亡くなった妻・奈緒さん(享年29)。そのとき、長男は生後112日だった。関西の人気テレビキャスターが初めて明かす、家族3人の闘い。

『笑顔のママと僕と息子の973日間』

『笑顔のママと僕と息子の973日間』
清水健著 小学館
乳がんで亡くなった妻・奈緒さん(享年29)。そのとき生後112日だった息子。関西の人気キャスター“シミケン”が退社を決断し、前を向いて歩き始めるまでの973日間。

取材日:2022年7月8日
編集・取材・執筆:早川景子